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武家茶道とは

 茶道には様々な流儀が存在するが、その歴史、担い手から大別すると二つの系統に分けることが出来る。一つは「侘び寂び」の精神性を伝えた千利休を祖とする家系(裏千家、表千家、武者小路千家)と利休の孫である宗旦が育てた千家流の門人たちの流れ(江戸千家、宗偏流、松尾流等々)である。その主役が町人層であったため町衆茶道と言われる。現代では多くの人たちが町衆茶道を学んでいる。

 もう一つの流れが各大名家に伝わる茶、一般に大名茶道、武家茶道と呼ばれる茶道である。古田織部、小堀遠州、片桐石州、金森宗和、松平不昧、井伊直弼などが代表的な茶人である。彼らの系譜を引く流儀が、遠州流、石州流、宗和流等である。茶の湯の歴史を足利義政の時代(1450年頃)からと考えると、現代までおよそ530年。江戸末まで380年は武士の時代であった。茶の湯の歴史の7割の時代を武士がリードしてきたという事実である。

 茶道は、江戸時代に今の形となって流儀という考えが生まれた。当時の支配者であった武士階級は、さまざまなオフィシャルな場面で、身分を越えた交流をしなくてはならなかった。大名ならば、上は将軍から大名同志、親族、家臣、公家、僧侶、そして出入りの商人、職人に至るまで、その交際範囲は幅広いものであった。

 とくに、茶の湯好きであった二代将軍徳川秀忠、三代家光は「数寄屋御成」といって、たびたび大名の屋敷に茶の湯に出向いた。大名は、何か不調法があると、最悪の場合、切腹、お家取り潰しとなるため、茶の湯に詳しい人に教えを請うことになる。それが当時の第一人者であった小堀遠州の元に、多くの諸大名が集まった理由の一つだろう。

 この数寄屋御成は次第に衰退したが、茶の湯自体が衰退したわけではない。数寄屋御成はなくなったものの、大名家の代替わりに際しては、その証として名物茶道具の献上や下賜(かし)、つまり将軍家から代替わりした証として名物茶道具や刀剣が与えられる慣習ができた。これは一代限りで、また代替わりする時に将軍家に献上、お返ししなくてはならない。下賜されたといっても、自分のものではない。名物茶道具を所有することは武家社会のステイタスで、大名である証でもあり、秩序形成の意味もあったため、茶道の技芸や教養は、武家階級には必要不可欠なものだった。武家としての心得、哲学を茶道に求めたのだ。

 徳川政権は武家による軍事政権でありながら、戦争をほとんど経験しなかったことは、交際儀礼に心を砕いたことも影響している。武士は大名だけでなく、下級武士にいたるまで、家計に交際費が占める割合は高かった。衣食住の費用を削ることはあっても、交際費だけは削減することはなかった。それが武士の名誉にも繋がっていたからだ。交際儀礼を養う教養の一つとして、茶道は必須だった。そして茶道の精神のひとつが、「もてなし」なのだ。「もてなし」の精神こそが、戦争がほとんどない平和の時代を作ったともいえるだろう。

 赤穂事件も、命がけの「もてなし」が悲劇を生む物語だ。朝廷へのあいさつと朝廷からの使者の接待を命じられた浅野内匠頭が、儀礼の指導者であった吉良上野介に斬りつけたのは、決して浅野内匠頭が乱心したからではない。いかなる理由であっても十分な「もてなし」が出来なかったということになると、武士としては末代までの恥で死に値する。武士は命がけで「もてなし」をし、命がけでもてなされたのだ。

「客の粗相は亭主の粗相なり。亭主の粗相は客の粗相と思うべし」
とは松平不昧の言葉である。現代はこの言葉を噛み締める必要がある。「おもてなし」には、亭主だけでなく、客にも亭主以上の意識の高さが必要とされる。「おもてなし」は一方通行ではない。今一番必要なことは「客力」をつけることなのだ。客力の喪失が、今のようにクレーマーが闊歩する状況を生んでいる。当然のようにクレーマー化する現代、立場の違う者同士がお互いを思いやる茶の湯の精神こそ必要とされている。



 新渡戸稲造はその著書「武士道」で「武士の教育において、美の価値をみとめることが重要な役割を果たしてきた」と述べているように、茶道がサムライの精神形成に大きな役割を果たしてきたことは云うまでもない。人と人との付き合いで重要である礼に対しての心構えもまた「礼儀は慈愛と謙遜という動機から生じ、他人の感情に対する優しい気持ちによってものごとを行うので、いつも優美な感受性として表れる。礼の必要条件とは、泣いている人とともに泣き、喜びにある人とともに喜ぶことである」と述べている。

 形式主義的に見られがちな茶道の稽古も洗練された点前・立ち居振る舞いを繰り返すことにより、感性を磨きあらゆる事象に神経を研ぎ澄ませる訓練につながる。そして、立場を越えて常に相手を思いやる心こそが礼につながるのである。

 現代は大名、武家というよりもサムライと言った方が私たちに馴染み深いかもしれない。サムライは武士一般を指す言葉であるが、たんなる武士ではない。かつては「尊敬すべき人」をサムライと称したのである。まさに誇り高き称号なのである。高い精神性を備えた茶道という意味もあって、武家の茶道、サムライスタイルは常に品格が求められてきたのだ。

 
 



茶の文化フォーラム主宰
武家茶道 茶人
壷中庵 宗長 
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